饕餮(とうてつ)のお話。 |
|
| 大貫本店が使用している包装紙や、チームTシャツには《饕餮》(とうてつ)という大変珍しい緑色の模様が描かれています。 |
| この《饕餮》とは中国古銅器を飾る典型的な動物文字でBC.1750~BC.1030頃までに、もっとも盛行し鬼神を尊んだ古代人の神であります。 |
| 《饕餮》は大食大欲の悪い奴で大変強い力を持っていましたが、その力を外に向ければ邪を防ぐであろうと、次第に信じられるようになりました。 |
| 容器類や食器類に《饕餮》の面や模様を付けたのは侵されやすい飲食物を悪から守り、また飲食物を通して我が身におよぶ災難を防ぐ為であったと伝えられています。 |
| そんな饕餮(とうてつ)模様が大貫のイメージマークになっています。 |
|
|
~ラーメンの自在~ 2002年2月号 |
| 『シンプル・イズ・ベスト。仕込みも仕上げもいかにシンプルにして深い味を出すかが勝負やと二代目から受け継いだ信念です。』とは大貫三代目店主 千坂哲郎さん。 |
作業衣が似合ういかにも大将然とした恰幅で厨房の中心に立つ。午前11時半前、開店を待ちかねたようにお客が入り始めると、20数席の店内はあっという間に埋まっていた。 |
| 『たかだか80年90年で老舗やなんて恥ずかしい』と哲郎さんは笑う。しかし現存する中でおそらく関西で最古、ひょっとしたら日本で一番の歴史を持つラーメン店かもしれないのだ。 |
| 創業は大正元年。哲郎さんの祖父長治さんが神戸の居留地で中華料理店を開いたことに始まる。 この時、日本人が経営する中華料理店としては初めて中国人シェフを招いたという。製麺技術もこのシェフからの直伝。 |
| 実は初代、東北は仙台生まれ。志を持って東京に出てフランス料理を修業する。明治時代後期の話だ。 ちょうど明治43年に東京浅草に日本最初のラーメン店「来々軒」が誕生し、初代も食して何かひらめいたのではと・・これは哲郎さんの話。 |
ともあれそれが神戸での創業へと繋がる。それにしてもフレンチの料理人が中華そばとは・・。明治という時代の自由さ日本人の精神の闊達さを感じずにはいられない。 |
| 昭和27年、終戦後の混乱を経て尼崎へ店を移す。三代目哲郎さんの父吉郎さんが継ぎ、店名を『大貫』と改める。 |
以来、代は替っても流儀は変らない。豚骨と鶏ガラだし昆布に野菜などでゆっくり時間をかけて作るスープはコクがある醤油味。「味噌が入ってるんとちゃうか」言われるくらい濃厚。辛くてスープは残しそうと思うかもしれないが、そのうちに醤油のまろみ、ふくよかさが徐々に現れてくる。あと口も良い。 |
| 太い麺が合うが、これは四代目の創さんが店の2階で作っている自家製麺。毎日25kgの粉に水、塩、かん水、卵を加え機械でこねた後、取り出して足で踏む。 |
| この作業がポイント。ぷりぷりとしたコシを出すのだ。続いてローラーにかけ、数時間寝かせてから麺にする。さらに1日冷蔵庫で寝かせて完成。 「父からは決まった事をやってるだけやったらアカン、粉と会話しなさいと言われます。お前が作ってる麺が大貫の麺や、自信を持ってやれと」。 |
| 四代目は、季節や気候に合わせて水や塩、足踏みの加減を変えながら粉が麺へと生まれ変わるまで無言の会話を続ける。 |
| 具にも注目。 チャーシューはモモ肉とバラ肉の2種類。 |
「味わいも栄養も違う。醤油ダレを作った後の肉やけど、無駄にせず立派な一品に仕上げる中華料理の知恵、奥深さに感心します」と哲郎さん。 |
| あとはキクラゲとメンマ、ネギ。いろいろ入れると冷めてしまうからという、これもこだわり。と言ってもこだわりだらけの気むずかしい店ではない。
スープの濃淡、麺の硬さ、具の好みなど、お客さんの希望は出来る事は全部聞くようにしてるという。 『自分よがりはアカン。好きなように食べてもろたらええ。お客さんにこうやって食べああしたらアカンなんて言うなと二代目から教えられました』 |
| その教えの裏には、1杯の中華そばに代々受け継いできた自信と誇りが凝縮されているのだろう。800円という代金、決して高くない。 2002年2月号 『あまから手帖』より 全文掲載
*値段・年齢などは2002年当時のものです |
|
| |